火曜日, 4月 11, 2006

おもひでモクモク

僕が最近笑った話に、イラクに復興支援に行った日本人が現地の人に公共工事かなんかに関わる談合の話をしたら、「すばらしい。日本人は皆で仕事を分け合うのだな。イラク人のようだ」と言う風に感激されたというものがあります。こういう風に、一部の人たち(自由競争を建前とする僕ら日本人)にとっては悪い事であっても、違う視点から見たら悪事とは限らないなんて事はいくらでもあるわけです。まあ、談合の実情は特定の業者だけが甘い汁をすすって、他の業者を排除するものなのでイラクの人たちも良くないと言うでしょうが。

わかりにくい例えになりましたが、言いたいのは「ルール」ってものは究極的には恣意的なものだと思うということ。だからといって守んなくてもいいなんて話には決してならなくて、いろんな人がいる世の中をうまく動かすためには、ルールは絶対に必要だし、そのルールの内側で暮らす人達はそれに従わなければならない。しかし繰り返しになるけど、ルールは絶対的なものではなくて、皆がハッピーに暮らすための「方便」なわけです。

より良い世の中に向かって人の重い腰を上げさせるため、まずルールを変えるってのは別に悪い事じゃないと思うけど(飲酒運転の罰 則引き上げとか)、煙草は法律を使ってプレッシャーをかけるほど一律に悪いと言い切れるものじゃないと思う。先のエントリーにボーカルさんがコメントをく れたように、本当に悪いなら禁止すればいい。

でも最近の嫌煙ブームに乗って息巻いている人達は、あの法律の背後にある「煙草は良くない」という価値観を「法律だから」と無批判に受け入れて、その結果として煙草を毛嫌いしているように見える時がある。そういう時、僕は価値観とルールの関係に無自覚なままに「お上の意を汲んで動く」、悪い意味で日本的な大衆っぽいなと思う。彼らは自分では主体的に煙草を嫌っていると思っているかもしれないけど、現実は必ずしもそうではないと思う。