土曜日, 7月 01, 2006

レッチリ

なんか最近すごい事になってますね、
レッドホットチリペッパーズ。(youtubeで見つけた演奏→californication)
こりゃ人に教えずにはいられないわい。



水曜日, 6月 28, 2006

うざいってゆーな

先日ボーカルさんがくれたコメントを読んでて、「うざい」って言葉ってそういえばものすごい破壊力を持っているなあ、と気づきました。何人かで話してて「おめーうぜーよ」と言われたらどんなに自分に理があると思っても、なかなか反論できませんよね。もちろんそこで黙る必要なんかないんだけど、言い返すと「だからぁ、」って言い返されて、さらに立場が悪くなる危険が高い。これほど相手を黙らせる強制力をこの言葉が持ってんのはそんだけこの言葉を発したくなるときに抱いている不快感と言うかネガティブな感情をみんなが共有してるってことですよね。「ほっといてくれよ!」っていう。

でも本当にほっとかれて放置プレイされても「俺は俺の幸せを追求してんだ」って突っぱね続ける事ができるひとなんてそう多くはないように俺は思います。っていうか周りの人間と自分を切り離したままでハッピーになれるってのは幻想なんじゃないかと俺は思います。ペラい幻想だと思うのです。

んでハッピーになるための肥やし(大抵くさい)になるような関係を他人と作るためにどうしたらいいか、というと必要なのは、ボーカルさんの言うようにめんどくさがらずに「ちゃんと考える」という事だと思います。考えてもどうにもなんない事ってのは日常の中ですごく多いので「無駄」だと思いたくなる事も多いのだけど、何かのきっかけで人に「あいつは考えてる奴だ」と認めてもらった途端、現実の世の中ですら超役に立つ関係のできあがり、って居酒屋で絡んでくるオヤジの話みたいになってきたのでこの辺で止めますが、そういうことです。最近飲み屋で知り合った、俺が一方的に慕ってる「人間力」ありまくりの兄貴は自分の店を始めるにあたって無担保無利子返済期限なしで個人から4000万円借りたそうです。会うとくたびれてることも多いけど、やる事やってる男って感じでかっちょいい。彼はうざいっていわないと思います。

月曜日, 6月 12, 2006

多忙っていうか

自ら掘った墓穴を必死こいて埋めている感じの毎日です。
いや、既に自分も埋まってしまっているか。

しかし例えそうだとしても、ユマ・サーマンだって映画「Kill Bill」の中で重傷を負ったまま棺桶に密封&生き埋めにされた状態から脱出できたんだから俺にできないはずがない。なのでもう少しフンばりますです。

ボーカルさん、ccjankyくん、コメント返事しないですいません。僕が間違ってました。これからはちゃんと返事するので許してください。

ボーカルさんの紹介してくれた映画は残念ながら観に行けませんでしたが、今の馬鹿げた政治にもの申す一方で、紹介文の中で触れられていたように国とか平和とかいうでっかい対象に「自分が」どのように向き合うかということを考えるのはすごく大事だと思います。ていうか本来こっちを先に考えるのが基本ですよね。最近の国会の暴走ぶりを見て軽いパニックに陥りこの事を忘れつつあった僕にはズシリと響く指摘でした。


本文とは全然関係ないけど、トカゲです。

月曜日, 5月 08, 2006

ママの味 手作りクッキー

ちょっとは連休っぽい事をやろうと、先日母親から送ってもらったメモを参考にクッキーを焼きました。ピーナッツバタークッキーです。子供の頃によ く食べた、いわゆる思い出の味って奴ですな。食べてもらった友人4人の反応はいずれも好評。リクエストがあれば作り方を紹介します(超簡単。1時間ででき ます)。

「卓上天ぷら揚げマシン」の上で冷めるのを待つ焼きたてクッキー達。


土曜日, 5月 06, 2006

へこむー

最近は自分の人生で手一杯だっちゅうのに世の中マジで笑えない法律が成立しかかってて困ってますハイ。ほんとは何が問題なのか俺の考えを書きたいとこなんですが時間的に余裕ないんで参考になるサイトの紹介だけします。昨日久しぶりに会った友人が、この法案が4月28日に強硬採 決されかけた事どころか共謀罪という言葉も知らなくて、衝撃を受けたので。国民同士が監視し合う社会を作る事につながりかねない法案が、国民に大々的に知らされる事なく(テレビではほとんど放送されていないそうですね)まともな審議を経ずに成立しかかっているって明らかにヤバイでしょう。

らんきーブログ
La Compagnie A-n's BLOG
時事放談22 By半平太


金曜日, 4月 21, 2006

You Can チャンプルー

よく知られた沖縄の食べ物飲み物と言えば泡盛、ラフテー、沖縄そばなどなど、いろいろありますが、チャンプルーは手軽に作れて、世界のどこでも沖縄気分を味わえる素晴らしい料理であります。テレビの旅行番組などで紹介される事も多いためか、僕も時々知り合いに「チャンプルーのレシピ教えて」と聞かれます。しかし、こっちとしては「レシピだなんて、、そんな大層な料理じゃないんです。期待させてごめんなさい」と申し訳なく思ってしまうほど大したことないやつなんです実は。

知ってる人も多いと思いますがチャンプルーってのはもともと混ぜる、とか一緒くたにする、って意味の言葉です(多分長崎のチャンポンとルーツが同じなんじゃないかと僕は想像している)。今風の言葉で言えばミクスチャーってとこですかね。

ミクスチャーが今風の言葉かどうかはさておき、混ぜるって言葉で呼ばれる料理なんですから、細かい事なんか考えないで、食べたいものを何でも豪快にフライパンに放り込んで炒めてしまえばいいんです。別にゴーヤーが入ってなくてもいいんです。あめ玉が入っていようが、金魚が入っていようが、あなたが「チャンプルーだ」と宣言すればそれは立派なチャンプルーなのです。

とはいえこれではあまりに不親切なので、一つだけ具体的な作り方を書きましょう(我ながら恩着せがましい奴だ)。あくまで僕流の作り方ですが。

作るもの:豆腐チャンプルー(二人分)
材料:木綿豆腐(1/2丁)、白菜(外側のでかい葉っぱ3、4枚)、人参(1本)、チンゲンサイ(2束)、豚肉(小間切れ100〜150g)、油、醤油。

手順:
1材料を食べやすい大きさに切る。人参は火が通りやすいように3mm程度の短冊切り。豆腐は大きめ。3センチ角ぐらい。
2油を多めに引いたフライパンで豆腐以外の具を炒める。入れる順番は人参→豚肉→白菜、チンゲンサイ。
3野菜に火が通ったら豆腐を投入。 そのまま1〜2分炒める。
4醤油で味付け。
5いただきます。

ちなみにチンゲンサイの葉っぱの部分は手順2のところで入れず手順3のところで豆腐と一緒に入れるようにすると、葉の色が変わらずに、彩りが良くなるでしょう。僕はめんどくさがってやりませんが。あと、作った直後ももちろんおいしいのですが、しばらくおいた後のものもおいしいです。なぜなら葉野菜から出た水気と豚肉の肉汁、醤油が混ざった汁が具にしみ込むから。休日の昼食に作り、3時のおやつに食べるとまた格別。

まあこんな感じです。繰り返しになりますが、ここで紹介したのはあくまで一例で、これが必須、という具もなければ、味付けにこれといった決まりもない。塩味で、小松菜、シーチキン、ゆでたそうめんを具の柱とする「ソーメンチャンプルー」なんていう主菜と主食を兼ねたものですらチャンプルーに含まれてしまうのです。知人の問いに「レシピだなんて、、」と申し訳なく思ってしまう僕の気持ちを少しはわかっていただけたでしょうか。ことチャンプルー作りに関しては「間違い」はあり得ないので
(まるでパンクロックのよう)、皆さんも気軽に何でも炒めてチャンプルー宣言してみてはいかがでしょうか。


日曜日, 4月 16, 2006

青山真治監督の

エリ・エリ・レマ・サバクタニ

先週末久しぶりに観た映画がこれでした。

感染者の自殺を誘発する奇病「レミング病」が流行する2015年の日本が舞台。「彼らが演奏する音を聞くと自殺を防げる」との噂を聞きつけ、二人のミュージシャンの下に祖父に連れられ少女がやってくる。いろいろあった挙げ句、ミュージシャンの演奏を聴いて少女は回復する、という筋書き。
監督:青山真治  
出演:浅野忠信、宮崎あおい(かわいい)、中原昌也とか。

見に行ってよかったと思いました。
特に良かったと思うのはミュージシャンが少女に演奏を聴かせるクライマックスのシーン。真っ青な空と緑の芝生が接する地平線、その前で真っ白い服を着た男によって演奏されるというか発せられる癒しのノイズ攻撃、こんな状況、映画ん中じゃなきゃ絶対に体験できないだろうって場面が(恐らく)10分以上続きます。こういうシーンを観られたというだけで、俺は満足ですぜ。

最近になってやっとわかったのだけれど、俺が映画を観たり音楽を聴いたり本を読んだりする最大の理由は自分が変わるきっかけが得られる(かも知れない)ということ。自分の殻を破って前へ踏み出したいとかそういう言う話じゃ全然なくて、何かのきっかけで自分の視点が変わる事で、周りの景色ががらっと違って見えるようになる、これが単純に快感なのです。そんでこれまでの経験から、映画とかってのは自分が変わるきっかけになりうると俺は思っている。

こういう風に、映画を自分が変わるための「触媒」みたいに考えると、当然テーマも重要なんだけど、それ以上に色とか音のような感覚的で具体的なものがより大きな意味を帯びてくる。だって俺が今まで観た映画で、ストーリーは忘れたけど具体的なシーンは思い出せる、ってのはいくらでもある。これはきっと、俺の脳みそのアーカイブの中では断片的な映像とか音の方が大きな意味を持っているということでしょう。だから俺は印象的な映像とか音に触れられる映画を観ると、高い金払った甲斐があった、と思うのです。

青山真治監督の映画は「ユリイカ」と今作の2つしか観てないけど、印象的なシーン満載の映画を撮るという点で既に俺ランキングの上位の地位を獲得しています。お前何人映画監督知ってんだよ、って話もありますが。まあいずれにせよすごい人もいたもんだ、と思います。

最後に言っておくとこの映画のタイトル「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」これはキリストの最後の言葉のシリア語訳で、「主よ、主よ、なぜ私を見捨てたのですか?」という意味なのだそうですが、言いにくく、覚えにくい。僕は映画館のレジでこの名前が出てこなくなって、「エリ・エリ・、 、 、なんとか、一枚お願いします」と恥ずかしい思いをしました。もしこれから見に行く人がいたら「エリ・エリ・、」と10回ぐらい唱える練習してからチケット売り場に向かったほうがいいですよ。