金曜日, 4月 21, 2006

You Can チャンプルー

よく知られた沖縄の食べ物飲み物と言えば泡盛、ラフテー、沖縄そばなどなど、いろいろありますが、チャンプルーは手軽に作れて、世界のどこでも沖縄気分を味わえる素晴らしい料理であります。テレビの旅行番組などで紹介される事も多いためか、僕も時々知り合いに「チャンプルーのレシピ教えて」と聞かれます。しかし、こっちとしては「レシピだなんて、、そんな大層な料理じゃないんです。期待させてごめんなさい」と申し訳なく思ってしまうほど大したことないやつなんです実は。

知ってる人も多いと思いますがチャンプルーってのはもともと混ぜる、とか一緒くたにする、って意味の言葉です(多分長崎のチャンポンとルーツが同じなんじゃないかと僕は想像している)。今風の言葉で言えばミクスチャーってとこですかね。

ミクスチャーが今風の言葉かどうかはさておき、混ぜるって言葉で呼ばれる料理なんですから、細かい事なんか考えないで、食べたいものを何でも豪快にフライパンに放り込んで炒めてしまえばいいんです。別にゴーヤーが入ってなくてもいいんです。あめ玉が入っていようが、金魚が入っていようが、あなたが「チャンプルーだ」と宣言すればそれは立派なチャンプルーなのです。

とはいえこれではあまりに不親切なので、一つだけ具体的な作り方を書きましょう(我ながら恩着せがましい奴だ)。あくまで僕流の作り方ですが。

作るもの:豆腐チャンプルー(二人分)
材料:木綿豆腐(1/2丁)、白菜(外側のでかい葉っぱ3、4枚)、人参(1本)、チンゲンサイ(2束)、豚肉(小間切れ100〜150g)、油、醤油。

手順:
1材料を食べやすい大きさに切る。人参は火が通りやすいように3mm程度の短冊切り。豆腐は大きめ。3センチ角ぐらい。
2油を多めに引いたフライパンで豆腐以外の具を炒める。入れる順番は人参→豚肉→白菜、チンゲンサイ。
3野菜に火が通ったら豆腐を投入。 そのまま1〜2分炒める。
4醤油で味付け。
5いただきます。

ちなみにチンゲンサイの葉っぱの部分は手順2のところで入れず手順3のところで豆腐と一緒に入れるようにすると、葉の色が変わらずに、彩りが良くなるでしょう。僕はめんどくさがってやりませんが。あと、作った直後ももちろんおいしいのですが、しばらくおいた後のものもおいしいです。なぜなら葉野菜から出た水気と豚肉の肉汁、醤油が混ざった汁が具にしみ込むから。休日の昼食に作り、3時のおやつに食べるとまた格別。

まあこんな感じです。繰り返しになりますが、ここで紹介したのはあくまで一例で、これが必須、という具もなければ、味付けにこれといった決まりもない。塩味で、小松菜、シーチキン、ゆでたそうめんを具の柱とする「ソーメンチャンプルー」なんていう主菜と主食を兼ねたものですらチャンプルーに含まれてしまうのです。知人の問いに「レシピだなんて、、」と申し訳なく思ってしまう僕の気持ちを少しはわかっていただけたでしょうか。ことチャンプルー作りに関しては「間違い」はあり得ないので
(まるでパンクロックのよう)、皆さんも気軽に何でも炒めてチャンプルー宣言してみてはいかがでしょうか。


日曜日, 4月 16, 2006

青山真治監督の

エリ・エリ・レマ・サバクタニ

先週末久しぶりに観た映画がこれでした。

感染者の自殺を誘発する奇病「レミング病」が流行する2015年の日本が舞台。「彼らが演奏する音を聞くと自殺を防げる」との噂を聞きつけ、二人のミュージシャンの下に祖父に連れられ少女がやってくる。いろいろあった挙げ句、ミュージシャンの演奏を聴いて少女は回復する、という筋書き。
監督:青山真治  
出演:浅野忠信、宮崎あおい(かわいい)、中原昌也とか。

見に行ってよかったと思いました。
特に良かったと思うのはミュージシャンが少女に演奏を聴かせるクライマックスのシーン。真っ青な空と緑の芝生が接する地平線、その前で真っ白い服を着た男によって演奏されるというか発せられる癒しのノイズ攻撃、こんな状況、映画ん中じゃなきゃ絶対に体験できないだろうって場面が(恐らく)10分以上続きます。こういうシーンを観られたというだけで、俺は満足ですぜ。

最近になってやっとわかったのだけれど、俺が映画を観たり音楽を聴いたり本を読んだりする最大の理由は自分が変わるきっかけが得られる(かも知れない)ということ。自分の殻を破って前へ踏み出したいとかそういう言う話じゃ全然なくて、何かのきっかけで自分の視点が変わる事で、周りの景色ががらっと違って見えるようになる、これが単純に快感なのです。そんでこれまでの経験から、映画とかってのは自分が変わるきっかけになりうると俺は思っている。

こういう風に、映画を自分が変わるための「触媒」みたいに考えると、当然テーマも重要なんだけど、それ以上に色とか音のような感覚的で具体的なものがより大きな意味を帯びてくる。だって俺が今まで観た映画で、ストーリーは忘れたけど具体的なシーンは思い出せる、ってのはいくらでもある。これはきっと、俺の脳みそのアーカイブの中では断片的な映像とか音の方が大きな意味を持っているということでしょう。だから俺は印象的な映像とか音に触れられる映画を観ると、高い金払った甲斐があった、と思うのです。

青山真治監督の映画は「ユリイカ」と今作の2つしか観てないけど、印象的なシーン満載の映画を撮るという点で既に俺ランキングの上位の地位を獲得しています。お前何人映画監督知ってんだよ、って話もありますが。まあいずれにせよすごい人もいたもんだ、と思います。

最後に言っておくとこの映画のタイトル「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」これはキリストの最後の言葉のシリア語訳で、「主よ、主よ、なぜ私を見捨てたのですか?」という意味なのだそうですが、言いにくく、覚えにくい。僕は映画館のレジでこの名前が出てこなくなって、「エリ・エリ・、 、 、なんとか、一枚お願いします」と恥ずかしい思いをしました。もしこれから見に行く人がいたら「エリ・エリ・、」と10回ぐらい唱える練習してからチケット売り場に向かったほうがいいですよ。






火曜日, 4月 11, 2006

おもひでモクモク

僕が最近笑った話に、イラクに復興支援に行った日本人が現地の人に公共工事かなんかに関わる談合の話をしたら、「すばらしい。日本人は皆で仕事を分け合うのだな。イラク人のようだ」と言う風に感激されたというものがあります。こういう風に、一部の人たち(自由競争を建前とする僕ら日本人)にとっては悪い事であっても、違う視点から見たら悪事とは限らないなんて事はいくらでもあるわけです。まあ、談合の実情は特定の業者だけが甘い汁をすすって、他の業者を排除するものなのでイラクの人たちも良くないと言うでしょうが。

わかりにくい例えになりましたが、言いたいのは「ルール」ってものは究極的には恣意的なものだと思うということ。だからといって守んなくてもいいなんて話には決してならなくて、いろんな人がいる世の中をうまく動かすためには、ルールは絶対に必要だし、そのルールの内側で暮らす人達はそれに従わなければならない。しかし繰り返しになるけど、ルールは絶対的なものではなくて、皆がハッピーに暮らすための「方便」なわけです。

より良い世の中に向かって人の重い腰を上げさせるため、まずルールを変えるってのは別に悪い事じゃないと思うけど(飲酒運転の罰 則引き上げとか)、煙草は法律を使ってプレッシャーをかけるほど一律に悪いと言い切れるものじゃないと思う。先のエントリーにボーカルさんがコメントをく れたように、本当に悪いなら禁止すればいい。

でも最近の嫌煙ブームに乗って息巻いている人達は、あの法律の背後にある「煙草は良くない」という価値観を「法律だから」と無批判に受け入れて、その結果として煙草を毛嫌いしているように見える時がある。そういう時、僕は価値観とルールの関係に無自覚なままに「お上の意を汲んで動く」、悪い意味で日本的な大衆っぽいなと思う。彼らは自分では主体的に煙草を嫌っていると思っているかもしれないけど、現実は必ずしもそうではないと思う。

日曜日, 4月 09, 2006

平成タバコ合戦モクモク



我ながら間抜けなタイトルですね。自信作です。

それはさておき、以前から気になってはいたのですが、このところ興味深いのが喫煙者に対するプレッシャーの強化ぶり。「タバコを吸う奴は愚か者」とも言わんばかりの空気がタバコの煙を遥かに上回る濃度で日本中を覆ってしまったように思います。受動喫煙で健康を害した、損害を賠償しろ、なんて訴訟が起きたとしてもそんなに違和感はない雰囲気ですよね。現実には今の法律では訴えるのは無理なんでしょうけど。でも「何の権利があってお前は俺の健康を害するんだ!」と語気を荒らげる人が増えているのは間違いないでしょう。

でも俺はそういう人の主張の大半は話半分に聞き流すだけにしてます。だって非喫煙者が晒される副流煙以外にもこの世の中には街に充満する自動車の排気ガスとか、生物濃縮で海産物に蓄積した有害物質とか、不特定多数の人の健康に悪影響を及ぼすファクターってのは表立って取り上げられていないだけでいくらでもあると思うし、あと、俺が耳にするタバコ嫌いの人達の主張の大部分は健康云々という部分は本質的ではなく、嫌いなタバコの臭いを俺にかがせるな!っていうことを周りの人に強要するための方便に過ぎないように聞こえるんですもの。

今時、「健康に害がある事が科学的に証明されている」というのはある意味最強のロジックだから、彼らの主張が現実の世の中で幅を利かせているのはわかるけど(フランスでは特産品であるワインのラベルに飲酒の危険性に関する警告の記載を義務づけるという案すらあるらしい)、ひねくれた俺にはトイレの後のかほりまで消臭しようとする「ファブリーザー」のヒステリーっぽくも聞こえてしまう。 そりゃあ臭いが嫌だって人がいるなら喫煙者は配慮するのが一市民として当然の事ですけどね。

でも一つ言いたいのは、喫煙に関してはちょっと大げさだけど文化って側面もあるだろうという事。「健康」っていう飛び道具的なキーワードだけで抹殺しようとするのは、危ないって理由で公園からブランコを撤去するのと似て、世の中を貧相にすることにもつながりかねないと思う。一律に排除するんじゃなくて、つきあい方を工夫するってベクトルの頭の使い方もあるんじゃないでしょうか。

水曜日, 4月 05, 2006

大事なのは流出の事実よりも、

まあ俺がブウブウ言ったところでどうなるもんでもないし皆さんも聞き飽きてると思うけど、アサヒ.com の記事。愛媛県警から先に流出した資料の中に、実態のない捜査報告書に基づいて公費(捜査報償費)が支出されていたことを示唆するものが含まれていたというもの。winnyで不正会計発覚みたいなノリで書かれているけど、実体のない捜査報告書って、捜査内容をねつ造したってことですよね。しかもこれは殺人事件の。見るべきはこっちの方のような気がする。

ところで特に女性の中には知らない人も結構いるようですが、ちなみにwinnyでやり取りされているファイルのほとんどはエロ動画です。AVです。音楽ファイルもやり取りされているでしょうが、量から言ったら圧倒的にエロ優勢でしょう多分。この俺の確信が何処から来るかはさておき、winnyで情報流出→そのきっかけはエロムービー、と考えるとニュースが違って見えてくると思います。住基ネットのパスワードなんかも漏れている今となっては、決して笑えないけど。

月曜日, 4月 03, 2006

脱パンツ

オーケイ、あんたがすぐにでも自由になりたいのなら、まずパンツを脱ぐことだ。
    ーーフランク・ザッパ(20世紀の音楽家)ーー

カッコつけてると、不自由ですね。

ということで明日からしばらくノーパンで暮らしてみようと一度は思ったが、俺のジーンズ、ジッパーが緩んでて簡単に窓が開いてしまう。今流行の個人情報流出の恐れがあるため脱パンはまず心の中で実行します。


参考リンク
ロック世代のポピュラー音楽史